2011年8月24日水曜日

中山道第9日目「醒ヶ井~柏原」221011

中山道第9 「醒ヶ井~柏原」221011() 

所要時間(グロス)時間不詳  分 歩数 不詳   歩

醒ヶ井の駅から先回の帰途覗いた地蔵川に出る。先ず足を向けたのは天然記念物「了徳寺の御葉附き銀杏」。樹齢約150年。この樹の銀杏(ぎんなん)は葉の表面いついていて細長い形で通常の銀杏と少し形が異なっているとのこと。昭和4年国の天然記念物に指定。

また、私が御好みのNHKの番組「ダーウインが来た」の、先週放送の主人公「ハリヨ」が、この川に生息し、保護魚に指定されているとのこと。番組によるとこの魚の産卵と子育てが大変ユニークらしい。

今日歩行予定距離が短く時間的に余裕があったので、地蔵川に生育する「梅花藻」も再度ゆっくり見物した。この時期でもまだ観賞に耐える。
街道沿いに滋賀県高月町出身の儒学者「雨森芳州」の「水清き人の心をさめが井や、底のさざれも玉と見るまで」の詩が書かれた木製ボード。

街道沿いにある「別雷皇宮」。この宿場の紹介写真には、必ずといっていいほどこのお宮から街道側を俯瞰で見た写真が出てくる。何気なく私が鳥居の一部を入れて写した写真も、観光案内に出てくる写真と同じアングルからの一枚であった。

「仏心水」という井戸を過ぎ「等倫寺」を過ぎればまだ新しい一里塚の石碑。やや行くと、まさに中山道に相応しい松並木の道になる。高宮の宿に入る前、豊郷近くにもこんな松並木道路があったのを思いだした。山際の道に入ると「ホタル、幼虫、カワニナをとらないで」と山東町教育委員会の名前で可愛い看板が立っていた。

地蔵川の梅花藻。
10月というのに一部はまだ見ることが出来た。
 大きな自然石に「←梓、柏原宿→」と書かれている。柏原宿ももうすぐだと感じる。しかしよく見れば左梓の文字の上には「東山道横川駅跡」橿原宿の文字の上には「江戸後期大和郡山領」と白いペンキで書かれている。
これは私には説明できない。
「天の川源流菖蒲池跡」の石碑を見て進む。道横の林際に「中山道宿駅制定400年記念植樹」として「街道並び松」の石碑。「北畠具行卿墓」の立て看板があったが、私はこの人のことを知らない。
「柏原宿」の文字が目に入るようになってきた。そろそろ目的地も近いようだ。
「豊穣整地碑」の大きな石碑は山際まで続く広々とした畑をバックにこちらを向いて建っている。次に大きく立派な「柏原一里塚跡」の石碑。珍しくここは「塚跡」が最近土盛されたように四角錐台の形で作られている。「旅籠屋 麻屋林右衛門」の木製表札、「是より明星山薬師道」の石碑、「「柏原銀行跡」の家型看板を過ぎると、人の背の倍もあるような巨大な木製の「中山道・柏原宿」の木碑。「柏原宿歴史館」は珍しくないが、他の宿と少し違って見えたのは、門口に「旅籠屋◎◎」と表札を掲げた古くからありそうなお家がやたら目に付くことだ。

元豪商「伊吹堂」を過ぎると、「吉村公三郎監督の思い出の橋。監督作品(川口浩、野添ひとみ共演」を生んだ)と書いた看板に出会う。この看板の意味は、解釈次第で違ってくる。

この一里塚は綺麗に整備されていた

何の変哲も無い一軒の家の入り口に「皇女和宮宿泊 柏原宿本陣跡地」という新しい石碑。和宮の夫君徳川家茂も、長州征伐の途次立ち寄り一宿したという説明の書かれた粗末な木製看板も目に入った。看板だけでも見て回るに楽しい宿場だ。



歌川広重
古くから山水四石の名所として知られていた。
広重はこの地を「酔ヶ井」と書いているがもちろん
『醒ヶ井」である。梅花藻を描かずに宿場の西の外れ
の六軒町辺りを描いたものだと言われている。


歌川広重
伊吹山に近いこの辺りは薬草の山地として知られていた。
広重の描いたのは有名なもぐさや「亀屋」。私は造酒屋の
看板のかった古い家も何軒か見たが。


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