第2日目が10月で第3日目が6月、というのはおかしいと思われるかも知れないが、実際は6月22日に草津宿から歩き出し、4回目の9月9日高宮宿から鳥居本宿まで行ったあとで、東海道と共有する京都三条~草津宿間を踏破した。ただ、このブルグでは日程順ではなく行程順に京都三条から書き始めている。
京都三条大橋から草津の宿までは、中山道は東海道と同じ道を共有する。草津までの道は中山道というよりむしろ東海道という呼び方のようだ。この草津までの道路標識は「東海道」とか「旧東海道」と書かれていたような気がする。中山道という表示は無かったように思う。この意味では、この3日目が中山道スタートの初日とも言えた。草津からのスタートだ。
同行の氏は小学校時代の同級生西田博一君。昭和20年3月大阪市内で戦災に会い、家も家財道具も一切失って疎開先で一緒になった。中学校まで一緒だった仲間だ。
JR草津駅 から天井川のある東海道と中山道の分かれ道まで少し京都方面に戻り、道標を写真に収め、今日の目的地と決めた野洲方向に向かって商店街の中を歩き出した。
伊砂神社を超えてしばらくのところで栗東動物病院の建物を写真に収めたが、実はこの辺りで左折しなければならなかったのを直進してしまったので、大きく道と時間をロスしてしまった。『光円寺』というお寺の門際に運良くこの寺の大黒さんの姿を認め、この人に尋ねて道が間違っていることを始めて知った。
葉山川橋、花園、栗東駅西口、と過ぎ「大宝神社」で中山道最初のお弁当を食べる。二町東、えんま堂町を過ぎ守山宿に。
守山石造り道標、街道文化交流館、本陣推定地、を通り過ぎ背比べ地蔵(上・写真)で休憩。
朝鮮人街道を過ぎると野洲小学校前に到着した。実質第一日目の中山道歩きはここまでにして駅前のお風呂屋さんのレストランでお疲れ会代わりのビールを一杯。今日はここからJRに乗って帰る。
伊砂神社を超えてしばらくのところで栗東動物病院の建物を写真に収めたが、実はこの辺りで左折しなければならなかったのを直進してしまったので、大きく道と時間をロスしてしまった。『光円寺』というお寺の門際に運良くこの寺の大黒さんの姿を認め、この人に尋ねて道が間違っていることを始めて知った。
葉山川橋、花園、栗東駅西口、と過ぎ「大宝神社」で中山道最初のお弁当を食べる。二町東、えんま堂町を過ぎ守山宿に。
守山石造り道標、街道文化交流館、本陣推定地、を通り過ぎ背比べ地蔵(上・写真)で休憩。
広重 草津追分 京都三条から歩いてきた道は、ここで東海道と中山道に分かれて行く まさに追分である。「右東海道いせみち。左中山道美のじ」と書かれている。 遠くに比叡山、手前の川は今「天井川」と呼ばれ街道 の上を流れている川なのだろう。 |
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