2011年8月30日火曜日

中山道第17日目「大井~中津川」23・4・15



中仙道第17日目  「大井~中津川」

23415日帰り)前後のアクセスの関係で今日は日帰りにした。
           所要時間 6時間10分   歩数 22,474歩



このシリーズで始めて【こだま】を利用。車内は空いていた。1115分恵那駅から歩き出した。恵那駅は比較的新しく正面から見てシンメトリな構図の白い建物であった。

中山道へ入る道を素通りして、先ず向ったのは駅前の「中山道広重美術館」。800円の入場料と時間を惜しんで入館はせず入り口の売店で「広重の写真集」2000円を購入。そのあと郵便局へ行き千円の街道貯金をする。これで実際のスタートは1145分頃になってしまった。


 歩き出して直ぐに「阿木川」にかかる大井橋を渡る。橋の袂に立てられた看板の一部には「大井橋は当時(江戸時代)阿木川に架かる唯一つの橋で、参勤交代の大名や多くの旅人が渡ったものである」とある。旅館「いち川」「大井村庄屋古屋敷」宿役人「林家」の前には説明看板と「戸長役場跡」の粗末なたて看板が立てかけてある。

広重作 中津川


脇本陣、本陣跡を通り、先ず早速本日第1回目のミスを仕出かした。本陣跡を左折すべきところを真っ直ぐ坂を上ってしまった。しかしロスは僅か。往復600m15分。この時も町を行く地元の人に確認してわかった。「史跡大井宿本陣址」と彫られた大きな新しい石碑は 古めかしい建物の前に立てられていた。

寺坂、馬頭観音、紅色と白の桜が一本の木に咲き珍しくて綺麗だった菅原神社を過ぎ、関戸一里塚、根津神社を通り「甚平坂」でミニブレイク。「初蛙、広重の絵の峠かな」(鶏二)と書かれた石碑と広重の大井宿の絵の彫られた石碑。ここは旅人の足を止めさせるには格好の場所だ。広重の絵の彫られた石碑もある。

馬塚、庚申塔、広久手坂の石標識を過ぎ中津川市に入る。その後、知らぬ間に田園の中を歩いていた。「明治天皇茄子川御小休所」になった藤原家は「和宮や明治天皇が休憩された部屋、厠、表門などは当時のままに保存されています」と説明板があった。「尾州白木改番所跡」「茄子川村の高札場跡」。「明治天皇茄子川御小休所」になった藤原家は「和宮や明治天皇が休憩された部屋、厠、表門などは当時のままに保存されています」と説明板があった。「尾州白木改番所跡」「茄子川村の高札場跡」を過ぎた、とある家の玄関脇に真民さんの「念ずれば花開く」の石標識があった。


リーダーに引率され集団下校する生徒
このあと雨が降ってきた
 
資料館:この日休館だった
 「坂本立場跡」という小さな石碑を見たあと、地元小学校の生徒の 下校時間と重なった。20人ほどの小学生の列に紛れ込み、子供達と一緒に歩くことになった。3年前、琵琶湖西岸の海津大崎でやはり下校中の小学生と連れ立って何十分か歩いて楽しい経験をしたが、今回その時の事を思いだした。子供達と会った頃から雨が降ってきた。下校する子供達の足も少し速くなってきた。歩くにつれ道路の端に父兄の方々が子供を迎えに出てこられていた。最後のおじいさんと家のほうに角を曲がって行った子どもは学校までの距離が随分遠かった。
なおこの旅から自宅に帰って後、子供達の学校宛にあの日写した写真を引き伸ばして送ってあげた。皆で見てくれだろうか。

中平神明神社を過ぎ中津川の宿に入る。駒場村の高札場跡
、本陣跡を過ぎると中津川資料館を見かけたが、あいにくこの日は休館日であった。
ここから先の辻を左折すると数百㍍先に中津川の駅舎が見えてきた。




中津川から大井へと至る甚平坂辺りを描いたと言われている。
右手の松の後ろには恵那山。左手一番奥に小さく見えるのが御嶽山といわれている。
                                      

1 件のコメント:

deepshell さんのコメント...

広重の絵の句の風景は写真が欲しいものです。