所要時間(グロス)時間6時間11分
歩数24,799歩
JR
充分楽しみは残っている、と考えるか、まだまだだと、考えるかはその人次第。
歩き出して間もなく木製の道路標示があった。左矢印は「柏原宿」、右矢印は「寝物語の里長久寺」。中山道もここまで来るとなんとなく中山道らしくなってくる。
今日一人で東から西に歩く60歳がらみの男性に会った。「京都三条大橋までもうすぐですね。私たちは、まだまだ先は長いです」。この男性は「京都三条へ着いたらこれで五街道制覇することになります。つぎは四国88ヶ所に挑戦したいと思っています」ということだった。
この人に比べたらわれわれはまだ赤子の段階だ。なんだか元気が出てきた。
やや歩いていくと「寝物語の里」。大きな石に彫りこんだ文字。由来の書いた石碑もある。「近江と美濃の国境はこの碑の東10メートル余りにある細い溝で仕切られていました。この溝を挟んで旅籠などが有り、寝ながら他国の人と話し会えた」のでここをこの名前で呼ぶようになったとのこと。その溝が道の右側にあって、溝の右側には「滋賀県」左側には「岐阜県」と書いた看板が立ててある。
「おくのほそみち芭蕉道」と書かれた新しい石碑がある。街道の看板や石碑に目を奪われているうちに今須の宿の郵便局の前にやって来た。早速1000円記念貯金。
宿場の街道には「問屋場」の立て看板。説明の最後は「関が原町」になっている。しかし程なく行くと「中山道今須宿」の石碑。今須宿を抜けると「今須峠」。あまり厳しい峠ではない。道際に「常盤御前の墓」の看板。更に家型の看板には「黒血川」。壬申の乱で多くの兵士が斃れその血が川底の石を黒く染めたのがこの名のいわれとか。「大谷吉継の墓」を過ぎ、「西首塚」の横には「関が原古戦場」と彫られた石碑。
「三輪仏壇」という老舗らしき仏壇屋さんで道を尋ねたら、この屋のご主人が親切に教えてくれた。家に引き返し地図を持って来てくれた。まだ陽が高いのでこのまま垂井まで歩くことにする。今日二つ目の郵便局を見つけた。例によって1,000円貯金。野上「七つ井戸」というところを通り「県社伊富岐神社」の鳥居前を過ぎる。「西の見付と広重の絵垂井宿」の標識看板は、街道右側にあった。「明治天皇垂井御小休所」の石碑を通り過ぎると程なくしてJR垂井駅 は目の前だった。
今須宿 広重 |
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