中山道第5日 「武佐~愛知川」22・8・15(土)
所要時間 時間不詳 分 歩数 不詳 歩
近江鉄道八日市線
中山道は駅の直ぐ前を通っている。
ほどなく1989年武佐小学校卒業生(寄贈)の看板のかかった「本陣跡下川家」の前に到着。つづいて大橋家、商家、役人宅.
「米油などの商家また武佐宿場の伝馬人足取りしまり役人裏に名園あり」の看板のかかった建物。
真新しい宿名の書かれた立て看板や「ここは中山道第六十七番宿場武佐宿です」の文字が入った説明看板。
この宿は街道を行く旅人に親切だ。魚友楼という老舗らしい料理屋の前を通り、武佐宿脇本陣跡に来た。ここから遠くないところに「明治天皇御聖蹟」の石碑。
宿場を過ぎて「西福寺境内 泡子地蔵尊200m」の看板。奥石神社、浄敬寺、を過ぎ国道と分かれ道の角に大きく目に付くモニュメント。
人の背丈より大きい石碑、「旧中山道」という文字が彫られた石柱の上に荷を担ぐ人の像。
もちろんいわれがあるに違いないが勉強不足でいわれを書けない。
先を急ぐ。いつの間にやら「愛知川宿」に入ったらしい。「中山道恵智川宿(旅籠竹の子屋)竹平楼」と書かれた古い建物の前に差し掛かる。
八幡神社を過ぎると「中山道愛知川宿」の新しい石柱。
今日の予定はここまで。
広重 武佐宿 武佐宿のそばには「横関川」 「中井川」という川があったという。 どちらの川が描かれているのだろう。橋の代わりに2艘の船を 浮かべてその上を旅人が渡っている。 |
恵智川 広重 今は『愛知川」と書く。「越智川」とも書かれたようだ。 (第6日目にも写真) |
あとで振り返るともう少し距離を稼いでおいても良かったかなと思う。
しかしまた時間の余裕があったので途中のモニュメントや名跡、景色など愛でることも出来た。
後半近くなると歩行距離も伸びた代わりに途中のモニュメントなどを楽しむ余裕が少なくなった。
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