中山道第11日目 「垂井~赤坂~美江寺」 22・11・18
すっかり秋 快晴
所要時間(グロス)6時間50分 歩数約35000歩
さて勇んで歩き出した。「東の見附」の看板、「相川の人足渡し跡」看板を横目に見て、川を渡ったところで美濃路と中山道の追分看板。「綾戸、大垣、旧美濃路、左平尾、赤坂、旧中山道」と書かれた文字は薄れて見え難い。「史跡中山道一里塚跡」を過ぎ「青墓宿」の看板前を通る。「史蹟照子姫水汲み井戸」、「聖地碑」「銀幣社白髪神社」「延長寺」を過ぎ昼飯町の信号を経て赤坂宿に到達。
兜塚、脇本陣跡、所郁太郎の碑を過ぎる。大垣市のクレジット付きの案内板には「…街の中心にあるこの四つ辻は北に向かう谷汲巡礼街道と、南は伊勢に通ずる養老街道の起点である…」と書かれている。
昔、港であったという街道に面した赤坂港跡で突然60歳ぐらいの叔父さんが現れ、あれが赤坂山だ、ここに港があったなどいろいろ教えてくれた。
一里塚跡を見てさらに進んだ田んぼ道の真ん中で、京都を目指す二人連れの男性に出会い、しばし情報交換を兼ねて歓談。
暫く行けば「揖斐川呂久渡船場跡」があり、和宮がここから渡船したという公園らしき場所で昼食をとることにした。
いつの間にか田舎の叔父さんの典型のような、グリーンのトレーニング姿の男性が現れ、隣に腰を落ち着けていろいろ話し込んできた。私が話を打ち切って立ち上がらなければいつまでも話し込んでいただろう。楽しかったがここでのロスタイム?があとになってこたえることになる。
「大月山願照寺」というところで、進む方向がわからなくなった。N君が向こうの方に見える店屋さんまで走って行って正しい方向を確かめてきてくれた。正道に戻った時には日が暮れ始めていた。
そして本日最大にして第2の失敗。
美江寺駅に着いたときには、1時間に一本しかない電車が5分前に出た後であった。辺りは真っ暗になっていた。
1時間に一本しかない美江寺駅の電車を5分差で取り逃がしたが、これは全く単純なミスである。美江寺到着の1時間前に虫が知らせたのか時間表を見なければならないかなとチラと考えていたのに実行しなかった。これが大きな反省材料。
次の電車まで1時間15分ある。今日は時間の感覚が余り無かった。目的地に到着した時に陽がすっかり落ちていたのは今日が初めて。その上この樽見線「美江寺駅」は全くの田舎駅。改札も無い。駅員ももちろん居ない。プラットフォームは一つ。多分私が今まで見た駅の中でもっともみすぼらしい駅。
次の電車まで1時間15分ある。今日は時間の感覚が余り無かった。目的地に到着した時に陽がすっかり落ちていたのは今日が初めて。その上この樽見線「美江寺駅」は全くの田舎駅。改札も無い。駅員ももちろん居ない。プラットフォームは一つ。多分私が今まで見た駅の中でもっともみすぼらしい駅。
今日は京都でいつものようにお疲れ会はせずに直帰することにした。
美江寺の宿 広重 |
長良川、揖斐川、木曽川の支流が網の目のように流れている この辺りはしばしば氾濫に見舞われていたため、奈良時代、 水害からの守護を祈ってこの美江寺が建立されたと聞く。 |
赤坂宿 広重 宿場の東側を流れる杭瀬川を描いていると言われている。 橋の袂にある傍示杭には「自是大垣藩領赤坂宿」と書かれているそうだ。 |
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