中山道第12日目 「美江寺~河渡~加納」22・12・8(水)
思っていたよりずっと暖かい日 快晴 所要時間(グロス)6時間分
歩数約25000歩(携帯)、16,600歩(万歩計)
美江寺駅。この駅に来るのはこれで3回目。最初は11月14日の「なばなの里」から車での帰途、駅の傍を通り過ぎた。次は前回の最終目的地として、陽が沈んで暗くなってからこの駅から電車に乗って帰った。しかし前2回はいずれも夜ないし夕方。明るい陽の下で見るのは今回が初めてだ。しかしはっきり言って申し訳ないが全く寂しいみすぼらしい駅である。
さて今日は美江寺~河渡~加納の10,5kmを歩く予定。
「美江寺宮前町」に続き「美江寺五六町」の信号を過ぎる。畠の中の一本道という感じ。舗装された道の左手に「この道は旧中山道です」という地味な看板が立っている。「本田松原」の信号を過ぎると程なくして「高札場跡」の標示。次に見たのは「本田西町」の信号に付いた標示板。続いて「本田代官所跡」の標示看板。郵便局を見つけたのでここでも1,000円貯金。「河渡2」とかかれた信号。これは「ゴド」と読む。道路わきに石碑を見た。「河渡宿は東に長良川、西南に糸貫川、北に根尾川があり土地も低く白雨雪舞の折には泥沼となった云々」と書かれていた。河渡宿を抜けると河渡橋、もちろん長良川に架かっている長い橋だ。ここへ来るまでは、河渡で長良川をわたる「渡し」に乗るのを楽しみにしていたが、毎月21日だけ開業している、ということで今日は断念せざるをえなかった。
昼食は長良川の雄大な河堤で食べた。何処からか自転車に乗った男性が目の前30mほどの河原に現れてスケートボートの練習をし始めた。川風がビニールの袋を何処かへ吹き飛ばしてしまった。探したが見つからなかった。河渡橋を越え暫く行くと家並みの中の道に差し掛かっていた。もう加納宿が近いのだろうか。「天満天神」の大きな石の鳥居、「神明社」の鳥居、「鏡島前川南」「鏡島大橋南」「鹿島町8西」の信号を通り過ぎる。もうここは町の中の一本道だ。「岐阜鹿島郵便局」を見つけた。今回は郵便局によく出会う。「阿賀多神社」を過ぎ「加納本町9」の信号を渡り次に見たのは「中山道加納宿」の立て看板だ。「あなたが立っている道は五街道の一つ中山道です」という書き出しで始まっている。秋葉神社を見た。この名前の神社をここへ来るまで2,3度見かけたように思うがー。少し行って広い道を左へ行くとJR岐阜駅 だった。
今日は10,5kmの距離で少し長いかなと覚悟してきたが、意外に早く到着、疲れもそれほどきつくなかった。今日のルートは余り変化がなかった。珍しく途中で行きかう中仙道ウオークマン氏はいなかった。一人も会わなかったのは今回が初めてではないか。
今日の特筆事項は、道を2度間違えたことだった。しかし両回とも大きく間違う前に正しい道へ戻った。ロスタイムも精々トータルで20分ほどだった。郵便局に3つ出会った。したがって合計3,000円の貯金が出来た。
長良川、揖斐川、木曽川の支流が網の目のように流れている この辺りはしばしば氾濫に見舞われていたため、奈良時代、 水害からの守護を祈って美江寺が建立された。この絵は揖斐 川の辺りだろうかと言われている。 坂を下る旅の僧が野良帰りの土地の人に道を尋ねている所で ある。 |
英泉の「河渡宿」 描かれているのは鵜飼の様子である。この絵では篝火によって 船の上だけが明るく照らされ他はすべてシルエットで表現されている |
広重の「加納宿」 この絵は加納城から出た情趣の行列を宿場の入り口付近から 見て描いたものであろう。 |
1 件のコメント:
たとえば、今回なら食事をした長良川の写真が欲しい。紀行よりも記録になっていないか。もう少し普遍性があれば、読んで楽しくなると思う。
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