2011年8月23日火曜日

中仙道第6日目「愛知川~高宮」22・8・26

  中山道第6「愛知川~高宮」22826() 
    所要時間 時間不詳  分 歩数 不詳   歩


82回目の中山道である。
ここ3,4回は近江鉄道のお世話になる。今日も愛知川駅に降り立った。今日は高宮宿まで歩く予定。

歩き出して暫く「河脇神社」を過ぎ、愛荘町沓掛の看板が大きく電柱にかかっているのを横目に過ぎる。「豊郷スポーツ公園」と大きな石に彫りこまれている。

程なく「江州音頭発祥の地」と掘り込まれた3メートルほどの大きな石柱。日吉山千樹禅寺、豊会館の前には三笠宮ご来館記念樹。金田池、天雅彦神社、を過ぎると伊藤忠兵衛記念館。大阪の住人であれば子どもの時から「伊藤忠」として聞かされている名前だ。ここは無料見学で日付けと名前を記帳させてもらった。直ぐ横の広場の前には「伊藤長兵衛家屋敷跡」と書かれたこれも大きな石碑。

暫く行くと民家の板塀に「中山道一里塚の郷石畑・ごんろく通り」と書かれた木札。
この辺りは愛知川宿と高宮宿の中間の地として「石畑宿」を任じているようだ。この板塀のもう一方の端に「島原手延べ素麺九州の味販売しています」と書いた大きな木の広告看板があったがこの地で九州の素麺とは何の意味があるのだろうか。しかしそれもゆっくり勉強する時間なく歩を進める。

このあたりは中山道の道すがらでも石碑や木製の表示看板が多い、というよりも旧跡や名跡がしっかり表示されている。この辺りからしばらく行くと中山道葛篭町の石碑。そして(これぞ中山道!)といってもいい美しい松並木の道に入る。道の両側に松の木が続き広重の絵がそのまま現れたような気分。その道の一角に「おいでやす・彦根」の10メートルもあろうかと思われる石柱。


何故九州の手述べ素麺の広告が?
 

おいでやす彦根












了法寺、環相寺を過ぎると「中山道高宮宿」と書かれた木の柱の横に「無賃橋」の表示。昔ここに無料で渡れる橋が架かっていたのか。

この橋を渡りきるともうそこは高宮の宿だった。

中山道に面して遥か先にある「多賀神社」の大鳥居がある。

実は私の先祖の墓がこの鳥居の傍のお寺の庭にある。つい先日お盆詣りをしたところだが立ち寄ってみた。
大いに歓待され食べ物飲み物を頂いた。冷たい500mlのジュースを一気に飲む。このジュースの美味しかったこと。もう一本にも口をつける。この暑さでは何本でも飲み続けられそうだ。

今日はここまで。それにしても暑い一日だった。
伊藤忠兵衛さん屋敷跡



恵知川宿 広重
「むちんばしはし銭いらず」と書かれていた。
愛知川は当時は近江の国で一番の大河であったという。


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