2011年8月30日火曜日

中山道第16日目「御嵩~細久手~大湫~大井」23・3・30~31


中山道第16日目「御嵩~細久手~大湫~大井」23330()31(木)
 所要時間第1日目7時間5分 歩数21,116歩 第2日目9時間15分 歩数32,921

     



4つの難所の峠の内の先ず最初の一つ「十三峠」をクリアした。










琵琶峠の石畳 この石畳の坂道は
私には大変印象的だった








中山道歩きは最初,草津からスタートし、後日、三条~大津間と大津~草津間を追補したので三条からの計算では今回が16日目になる。時系列で追わず、経路順に統一したいので京都三条大橋~大津(瀬田唐橋)を第1日目とする。従って今回は第16日目となる。

1500年の大杉
 
16日目にして初めて一泊中山道ウオークになった。これからは少なくとも一泊が必要になろう。今回は細久手の「大黒屋」旅館に泊まる。

前回と違い天気は晴れ。先日雨の駅だった「御嵩駅」前のお寺「願興寺」に入る。今日は時間があると思うので、立ち寄り場所にも十分時間をかけることが出来ると思ったのだが、結果的には終盤になって少し忙しかった。願興寺近くの「中山道みたけ館」へ入って展示物を見たが、さすがにゆっくり見る時間は無かった。インターネット氏(インターネット上で私が好んでいる手記)が書いているように、中山道に関する本がおいてあったので「中山道美濃十六宿展」」と「野次喜多の旅・道中記で辿る中山道の旅展」の2冊を買った。「商家竹屋」を少し覗き郵便局を見つけたので例の中山道貯金千円。

峠への入り口

宿場を抜けたあと国道に出る。また21号線だ。歩くことしばし少し細い舗装道路からいかにもそれらしき田舎道に入る。畑の傍に立つ石の標識「左細久手宿8300米」「右御嶽宿5500米」になっている。「牛の鼻欠け坂」と書かれた木製看板から、まさに旧中山道らしき坂道になる。石と砂の混じった歩き難い峠道だ。藤村の言った「木曽路は山の中」を思い出す。今日は上り8下り2の割合と考えている。あすはその逆の筈。「耳神社」の標識を過ぎると村落に入ってきた。説明板にある病気全快祈願をして報われた人々が「錐(キリ)」を供えに来る。やや進むと石畳の坂。坂道の登りの苦しさを忘れるために謡いながら登ったという「謡坂石畳(うとうさか)」。坂を上りきったところに広重の絵のモデルになった(今は)あばら家があり、その家の門口を塞ぐかのように広重の大きな古びた絵が立てかけてある。 広重の頃はこの家の前に小川が流れていたという。今日は昇り8下り2の行程だと事前に予測していたが、歩いてみるとこの予測はほぼ当たっていた。この峠の頂上に和宮が休憩した「御殿場」。休憩するだけで御殿が作られたのか。坂を登って東屋まで行ってみる。
さて、今日の特記事項はこのあとで出会った佐賀源一さんの履歴と現在の暮らしぶり。山中の一角に開いた空間といった広がりにサイロのようなものが見えたので「あれはなんだろう?」と興味を持った。眼の前の網の箱の中に小さな猪を見たのが持ち主の話を聞くきっかけになった。

ご自分でこのような碑をたてて猪や岩魚を飼って暮らす。


特攻隊の飛行士だったが復員後、バスの運転手になり、知事表彰を受けた大正14年生まれの小柄な男性。この山の中で猪を4匹捕まえ、あまごと岩魚(いわな)と鱒を人口清流を作って飼い、メタボだろうか体の一部が異常に膨れ、大きな治療袋を首から提げた犬と5匹の鴨と暮らしている。

ここで40分位は楽しい道草をした。70羽居た鴨の内65羽はアライ熊や狐や狸に攫われ、鶏はすべてやられたとのこと。もっとここで話していたかったが未知の長い道を歩く身には先も急がなくてはならない。

現在の「デルス・ウザーラ」さんと別れ、ここから鴨の巣一里塚、切られヶ洞、秋葉坂、など如何にも林の中の道といった地道を歩き、小一時間ほどで「細久手」宿に着いた。目指す旅館「大黒屋」は宿場の西の端近くにあった。今回は中山道を歩き出して初めての泊まり。細久手宿の「大黒屋」旅館は中山道を歩く人の殆どはその名前を知っているようだ。「大黒屋宿泊ですね」と会った人のほとんどの人は言う。夕飯の膳に出た「アマゴの塩焼き」が特別に美味しかった。50歳を少し越えた年齢ぐらいに見える主人と、まだ50歳未満に見える奥様、それにご主人の母親で大正12年生まれのおばあちゃん「酒井房子」さん。この人の名前は何冊かの文献で見たことがある。古いつくりの建物、奥の階段は90度かと思えるほど急だ。

2階の私の寝室に当てられた部屋の床飾りが、大木の根っこで作られた鎧を着た武将のオブジェであったが、寝ている私を頭の上から睨みつけているようだったので、寝床から起き上がってそっと武将の向きを変えさせてもらった。

 3月31日(木)
《翌日》7時ごろ目がさめた。何故か夕べは一回も目を覚ますことなくトイレも行かず、ぐっすり熟睡した。やはりこの辺りは、わが家よりも湿気が少なく温度も低いようだ。朝食は山菜中心の軽いもの。お昼のお弁当も大きなおにぎり2個が用意されてあった。
ご夫婦と記念撮影。房子おばあさんの見送りを受けて第2日目の峠越えに向って元気良くスタートした。
宿場は比較的長い登り坂だった。そして村を抜けると林の中の道が待っていた。二差路の分かれ道の真ん中に立て看板「伊藤洋蘭園」。迷ったが不安を持ったまま左への道を選んだ。少し歩いたところでどうやらこの道はやはり間違っていると考え、引き返したところで折り良く見かけた庭作業中の男性に尋ねた。どちらの道も同じ所に行くとのことでその男性はこの道を薦められた。
舗装道路が地道に変わるあたりからいよいよ登り600メートルの琵琶峠だ。熊脅しのためにリュックに取り付けた鈴がリズムの狂ったマーチで気を逸らしてくれる。この石畳の坂は、石の大きさと形状が複雑で歩き難いことこの上ない。

驚かせないで

この日は「琵琶峠」と「十三峠」という二つの峠越え。中でも「十三峠」は「十三峠におまけが7つ」と言われる中山道の難所の一つ。この日は9時間かかったが、結果的に判ったことは十三峠は西から東への旅人には上りより下りが多いということ。こちら側からは少し楽だ。道が二手に分かれており、野道から山道に入ろうとする辺りで、繋がれていた馬の呼ぶいななきに振り返ると、馬舎から一頭首を出してこちらを見ている。確かに彼は我々に声をかけた。
途中ゴルフ場(中山道カントリークラブ)敷地傍の道を横切った時ロストボールを一個拾った。
我々にとっては大変珍しい石畳の坂道を苦労して登り、琵琶峠の頂上で記念写真。

琵琶峠を下りきると村落に入る。大湫(オオクテ)宿だ。この辺りの家々はすべて犬を飼っている様だ。多分あらい熊や、キツネ、狸など害獣に対する備えだろう。この辺りから30分ほど歩けばいよいよ十三峠に差し掛かる。「中山道2つ岩」「大湫オオクテ」の宿の1300年の大杉を越えた神社の前の空き地で昼食。昼食の途中で道を歩く東からの一人旅氏に会う。「十三峠はきついですよ」と言われたが、あとでわかったことは西から歩く人には下りが多いので楽だということだった。
峠の入り口に十三峠の小さな石の標柱。峠への途中数軒の家並みの集落に入る。そこを過ぎるといよいよ本格的な峠、本格的な坂道だ。
いくつもの「立場(たてば)」いくつかの「一里塚」、いくつもの「馬頭さん」を過ぎて、登りは休みながら進む。「三城峠」「みつじ坂」、「高札場」と次々に出てくる看板を過ぎる。と、「深萱立場」の看板を見た。「もし大井宿まで行くのが無理だと判断した時は「深萱立場」からだと駅に近いですよ。ここを外すとアクセスが無くなりますよ」と、大黒屋のご主人に聞かされていたが、もとより脇道に逃げることは頭の中にはなくそのまま先へ進む。
追分ポイントの「下街道」を過ぎ「西行公園」に出た。ここから見る「恵那山」は特別印象的だった。芭蕉句碑「西行のわらじもかかれ松の露」を見ると、坂は下りになり「大井の宿」はもう目の前だった。


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