2011年8月29日月曜日

中山道第14日目「鵜沼~美濃太田」23・1・31

中山道第14日目 「鵜沼~美濃太田」 23131() 
防寒準備怠りなかったが冬にしては寒さが柔らかい日だった 
所要時間(グロス)6時間55分  歩数22,222


このあとしっかりした
雪道を歩く

高山線鵜沼駅はなんだか面白そうな駅だ。駅の正面壁に大きく「自由通路・鵜沼空中歩道」という文字が貼り付けられてある。英文字も「Unuma Aerial Walkway」。

故梅田吉三郎の碑

駅前のあちらこちらにはまばらに雪が残っている。「太田町2里8丁」「岐阜市へ410丁」の石碑。市指定重要文化財・武藤家住宅」前を通った頃は粉雪が散っていた。しかし寒さは殆んど感じなかった。「鵜沼宿脇本陣」の看板がかかった建物は最近建て直したのだろうまだ新しかった。「中山道鵜沼宿と芭蕉」の看板の中にはこの地と芭蕉のゆかりの3句が書かれていた。

第3の男の下水道?
この中を潜り抜けた


「汲溜の水泡たつや蝉の声」
「ふく志るも喰へは喰せよきく乃酒」
「送られつ送りつ果は木曽の秋」

芭蕉句碑を見て次に向ったのは300メートルほど離れた郵便局。記念貯金千円。

再び「うな神」の横を通り次の宿「美濃太田」に向かう。
いきなり上り坂だ。坂の途中で振り向くと家々の屋根の隙間から国宝の「犬山城」が見える。坂を上りきると大きな池。その縁をなぞるように歩く。「故梅田吉三郎の碑」の横を通る。
この辺りから舗装の道はまた上りになる。
「日本ラインうぬまの森」の石碑。少し高台のためか降り積もった雪が看板や石垣に残っている。この辺りのメルクマールは「森の本屋さん」。但しここもこの日はお休み。この辺り月曜日はお休みデーなのか。「うとう峠の一里塚跡」の簡単な木製看板を見た後で本日最初のミスをした。

ここからは団地を見ながらの舗装された上り坂であったが、登りきったところでなんだかおかしいと感じた。

車の傍で洗車中の男性に中山道はこの道ですかと聞いいたが、やはり間違っていたことを知った。来た道を引き返した。先ほど通った「森の本屋さん」近くから右へ入る「うとう峠」への石畳の道が見えなかった。

さて石畳の道はたっぷり積もった雪道だった。
ちょっと脇道へ入っただけで世界が真っ白になった。

ここからさすが峠という感じの山道になった。新雪の中に新しい足跡が二人分マークされた。滑らぬように万全の注意で歩いた。尻餅をつけば雪が冷水になって肌に染み込んでしまう。
「中山道いこいの広場」の看板。そのまま無視して進む。しかしこの雪道は覚悟したほど長くはなかった。峠道の最後は写真に見るように下水道と言っていいほどのトンネルだった。オーソンウエルズのハリーライムが逃げ回った、名作「第3の男」を思い出していた。

森の本屋さん
入ってみたかったがあいにく休館日だった

まさに夜の底が白かった

短いトンネルを抜けるとそこは雪国ではなく、滔々と流れる木曽川だった。ここからは再び国道の横を歩かねばならない。不愉快な道だ。

だが暫く歩くと郵便局がありまた貯金、この郵便局を出たところから「ロマンチック街道」と名付けられた木曽川の堤防道が始まる。この道は3キロ以上続く。
街道入り口で少し休憩することにした。

「二つめの大きな橋を越えた辺りから宿場です」と堤防を歩いていた大柄なたくましい男性が教えてくれた。

堤防際に建てられた「築堤記念碑」の石碑はまだ新しい。退屈なロマンティック街道だが木曽川の雄大な流れが眼を休め退屈を忘れさせてくれる。男性に教えられた大きな橋を越えてから堤防を左に下りた。将に今日の終着予定地「太田宿」の西端だった。各家の軒先に「中山道太田宿」の街燈のついている家が多くなった。今日は9km足らずの距離なので時間は余裕があると思っていたが、やはり夕方の気配に包まれてきた。
17:15分に駅に到着できれば「ワイドビュウ」に乗って乗り換え少なく帰れるのは知っていたが、この辺りでその時間にはとても駅に到着できないことがわかった。

美濃太田駅はすっかり夜に包まれプラットフォームには雪が盛り上がっていた。

鵜沼宿 英泉
木曽川の左岸犬山側から犬山城越しに、鵜沼の宿を眺めて描いた。

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