2012年6月21日木曜日

中山道第25日目「坂本~高崎」


中山道第25日目 「坂本~松井田~安中~高崎」
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所要時間 初日 午後45分坂本駅到着。直ちに駅前の「東京屋旅館」に荷物を解き隣接する「鉄道文化村」に入る。

1日目 坂本駅16:05到着。 この日は鉄道文化村見学のみ。  
2日目 坂本~松井田~安中 8時間50分 歩数31639 歩   
3日目 安中~板鼻~高崎  6時間10分 歩数23400
    
初日614日(木)
今回は7時間半の鉄道を乗り継ぎ、前回泊まった「APAホテル」横の軽井沢駅バス停からバスに乗り次ぎ、午後4時過ぎ横川駅に到着。50年ほど前ならバスに乗らずアプト式鉄道で横川まで行くことが出来たのであろうが、今はこの間はバスが運行している。
宿舎「東京屋」は駅の直ぐ近くであったので、そのまま直行してリュックだけ置きその足でとってかえして「鉄道文化村」に入った。(500円也)。内木戸のトロッコ列車に乗り場内一周する(400円也)。今日はこのあと旅館に入り寝るだけ。
新幹線を使って東京廻りで行っても初日は歩く時間がないので、それなら時間がかかっても交通費を絞って一日がかりでスタート地点まで行こうという算段だった。

第二日目515日(金)

朝、旅館「東京屋」前で記念撮影。
旅館の直ぐ北側(と思う)を中山道が通っている。東京屋のご夫妻に見送られて先ずは松井田宿方向に出発。明日は少し雲行きが怪しそうだが今日は晴天。
先ず『やのざわ橋』という町中の小さな橋を渡る。直ぐ右に見えたのは「おぎのや」の看板。釜飯の「おぎのや」。此処が本店だったのか。ロケイションはJR横川駅の真ん前。
踏切を渡り小さな川と畑を見下ろす。少し先に「百合若大臣の足痕石」。説明板の一部に「……後足をふんがいたのがこの石…」と書いてある。「ふんがいた」の意味はまたのちほど調べてみるつもり。「おやまざわそくどうきょう」を越え「安中市立臼井小学校」前に差し掛かる。「うすい」の文字が「臼井」となっているのに歴史の道程を感じる。
「茶屋本陣お西・お東」を通りどんどん歩き片側にガードレールのある坂道を登りだした時だった。何処から良く通る声が飛んできた。
「中山道を歩いておられるなら其処は違いますよ!」。
 右側の民家から70歳がらみの女性が出てきて「ここは皆さんよく間違われます」と言って、もと来た方を指差し「あのガードレールの隙間を行って下さい」。写真でもわかるように、こんなガードレールの隙間から左折するなどと言う発想は、多分10人居ても1人も判らないと思う。此処は帰宅後安中市役所に連絡して置いてあげよう。

ついでに言うと、今回は決定的な間違いを二人の男女から指摘され大いに助かった。もしこの二人の助言がなかったら取り返しのつかないロスを仕出かしていたと思う。

山に囲まれた村落に続く道を行く
「西松井田駅前」の信号に差しかかる前に「松井田城址」の標識看板を見る。(北条流の典型的な中世の山城として名高い)と説明されている。

新堀の信号を過ぎるとどうやら松井田宿に入ったようだ。
「松井田町商工会館」「郵便局」では1,000円貯金。総額はもう3万円を超えた。しばらく行くと先程教えてもらった「みなとや」が道から少し入りこんだ所にあった。無料休憩所と書かれおり、昼の定食500円。地元の人達も何人か食べにきている。お腹も一杯疲れも癒され、いざ出発した途端また郵便局があった。無い時は探し回ってもなかなかないものだが,あるとなれば続くものだ。また1,000円貯金をする。
「広重の中山道69次松井田のモデルの地」と木製の屋根型標識に書かれた文字が剥げて読みずらい。「西南の役碑」のこれまた読みずらい標識。

再び三度国道に出た。国道に沿って左下にそれらしき道が併行に走っている。中山道の旧道に違いないと目星をつけ階段があったので降りる。しばらく行き山道に差し掛かる手前で田畑仕事をしていた男性にはるか遠く後方から声をかけられた。
「中山道は真っ直ぐ行っちゃあだめですよ」
今日二度目の福の神の声。おかげで間違いを犯さずに済んだ。福の神に会ってしばらく歩くと東から西に向うご夫婦にお会いした。思えば此処しばらく東から西に中山道を歩く人に会っていなかったことに気付く。ご夫婦で五街道を踏破中で中山道が最後の街道だとのこと。横浜の住人で今のところは日帰りで歩かれているとのこと。
「磯貝雲峰旧宅跡」の標識も縦長屋根型でこれも字がかすれている。「村社日枝神社」を通る。「安中宿5,7km」「安中市立第2中学校」はグランドが広い。また見つけた。「安中原市郵便局」貯金貧乏をしてしまいそうだ。道中記で何度も呼んだ「安中原市天然記念物」の杉並木に差し掛かる。もともと70本ぐらいあったようだが今は十数本か。「石挽きそばうどん・いちよし」の縦看板。下校時になったのか学生さんが突如大勢姿を見せる。近くにあったのは「群馬県立安中総合学園高等学校」。
ここからしばらく歩くと「新島襄旧宅」の道しるべ。同志社大学の創始者新島襄の生まれは東京だが両親はこの地で住まわれたとのこと。188240歳の時、教え子を伴って中山道を歩きこの地までこられた。46歳の若さで世を去った新島襄は、旧宅を訪れてから6年後に逝かれた事になる。
古びた蔵、「サカウエ薬局」と看板の出ている古い家、今夜の宿「湯沢館」まではもう直ぐだ。長い橋を渡った所に佇む旅館にリュックを置いて車で500mほど戻り和風レストラン「もみじ」まで送ってもらう。実は今夜は夕食無しの泊まりだったのだ。

第三日目616日(土)
覚悟していたが台風4号の余波で今日は朝から雨。幸い風は今のところほとんどない。長い中山道歩きだ。雨もあれば雪もある。今日は昨日の約半分、10kmの道のりだ。
湯沢館は一回り齢の離れた姉妹で切り回しておられるようだ。暖かいおもてなしを受け、リュックサックの濡れるのを防ぐ為ビニール袋で覆いを作って頂いた。

雨の中、板鼻宿に向う。昨日道を逸れた中山道へ先ず戻る。宿場の外れらしき所を過ぎて国道に合流。どうやら今日は国道とつかず離れずの道中になるようだ。下野尻の信号を過ぎる。雨は降り続いているが幸い土砂降りとまではいかない。右手に「安中駅」が見えたので渡り難い横断歩道を小走りに渡る。念のため駅員さんに中山道の道筋を聞く。「左手が旧の国道です」といわれた道を進むと橋に差し掛かった。「一級河川碓氷川」と書かれている。どうやらこの川は宿屋の前を流れていた川の下流か。橋を渡りきったところにあざやかな「右中山道」の標識。こういう風に書いておいてくれればまったく安心。曲がり角の信号には「鷹之巣橋東」。

もう板鼻宿に入ったようだ。「板鼻宿本陣跡」の標識。本陣跡の敷地には「板鼻公民館」の建物が建っている。「横面には「皇女和宮宿泊の書院」という文字も読める。「山岡鉄舟書扁額」という文字も。「板鼻郵便局」を見つけたが残念、今日は土曜日だった。しかしATMは生きていたので貯金し、自分の手で通帳に「板鼻郵便局」と書き込んだ。
「高崎だるまあります」という大きな幟が二本。そうだ、此処では全国のだるまの70%を作っていると聞いた。「生そばエビスヤ」の看板を左手に過ぎれば再び国道に出る。この辺りで高崎宿にはあと5,6kmだ。「橋供養」と彫られた人の背よりも大きな石柱。この辺りの標識は木造、石造含めて文字が読み取り難い。古さの象徴か。「碓氷峠鉄道施設・世界遺産へ」の大きな看板が国道沿いに。これは多分デモンストレイション看板だろう。「八幡八幡宮」の鳥居を左手に見て国道をそのまま進む。国道に面した「大門屋」の前に人間の背より少し高い石造りの達磨の顔。諏訪大社で見た「元治の石仏」を思い出した。
「上豊岡町」の信号で国道18号と別れ左の旧道に入る。
「県指定史跡・上豊岡の茶屋本陣」の標識が眼に飛び込んでくる。親切丁寧な地元のボランティア女性の説明を受けて此処でたっぷり30分間の休憩を取らせてもらった。この建物は代々所有してきた飯野家から平成9年に市が買い取って一般公開しているという。此処で出前外注して食事も出来ることはあとになって知った。
この建物の斜め向いに「だるま工房松本商店」。少し行けば「高崎市立豊岡中学校」。「達磨製造販売DARUMA」と壁に書かれた文字も見える。雨は強くはないが間断なく降り続く。左手に「中国料理四川」の看板を見たので迷うことなくここでお昼をとることにした。
此処で高崎宿まであと約1,5km。雨はそれほど苦にならないがカメラを濡らさぬようガードするのに一苦労する。どうしても雨の日はシャッターを押す回数が少なくなりがちだ。
「本町一丁目」と書かれた交差点辺りからどうやら中山道を踏み外したようだ。この近くに縦長の道路標識があって「高崎宿⇔中山道」と読めるが、矢印の方向が道路と併行になっていないのでどちらの道が正解なのか判断できない。結果的にこの道標を読み取れなかったのが原因で今日の終着点である高崎駅まで回り道をしたようだ。「覚法寺」「高崎市立中央図書館」前を通り雨の高崎駅にそれでも予定より早く到達した。
此処まで来ると中山道というイメージとは程遠い。都会のど真ん中に居る感じ。

今回は、実質二日間延べ歩行時間15時間、55039歩であった。

坂本宿 渓斎英泉
東から来ればここから難所【碓氷峠】西から
来れば碓氷峠を越えてほっとする宿場が
坂本宿



松井田宿 歌川広重
奇山妙義山への登山口があったといわれる
遠くの山は妙義山といわれている



安中宿 歌川広重
板倉家3万石の城下町であった。
図は大名行列か




板鼻宿 渓斎英泉
珍しい雪景色

高崎宿 歌川広重
画面中央の川は碓氷川と鳥川の合流地点。右の
土手は高崎城といわれている


日本橋まで残り100kmを割った。もう直ぐだという感覚よりも、もう少ししか歩けない、一歩一歩を大切に、という思いのほうが強い。


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