2011年9月2日金曜日


中山道第19日目「三留野~野尻~須原~上松」 236162日一泊)

     61日(水)


1週間前の天気予報では本日のウオーキングルートは曇りであった。ところが実際に来て見ると雨、それも結果的に2日間とも雨は遠慮なく降り続いた。ただ今回は前回のように坂道が少なかったのがせめてもの救いであった。途中で小休止しなければならないような急な上りがほとんどなかったので助かった。


桃介橋


三留野駅へ着いたのは午前11時。ほとんどロスタイムなしで歩き出した。ただ目的方向と違う方角へ少し寄り道した。駅前近くの「桃介橋」を一目見たかったからだ。
「桃介橋」の名の由来は、電力王の異名を取り大同電力(今の関西電力)社長であった福沢諭吉の婿養子の福沢桃介から取られた名前。木曽川にかかるこの端は木造の吊橋である。



小野の滝

その後は雨に煙る信濃の山々を左手に見つつ、ただひたすら前方を見てもくもくと歩いた。明治天皇御休み処を過ぎて暫く行くと無人駅「十二兼駅」。ここでお昼にした。なおこの駅名は「じゅうにかねえき」と読む。雨避けに駅のホームに建つ駅舎は格好の場所。ダイヤは1時間に一本だ。鉄道保安員らしき人が一人作業をされている。それ以外は人っ子一人姿が見えず、雨に煙る山々が静かにこちらを眺めているだけである。





 
     突如として降り出した雨に慌てふためく人々。雨を描くことに長けていたと言われる広重の名作。
広重描く「須原宿」

今日は雨が絶え間なく降っているので、ビデオもスチル写真も撮影の機会がどうしても少なくなる。傘をさし雨を避けてシャッターを押すのも大変な苦労である。
野尻宿で郵便局を見かけたので例によって早速千円貯金をする。

次のブレークポイントとして選んだのは「道の駅大桑」。ここで私は,また五平餅を食べた。木曽福島から野宿しながら歩いてきたという初老の男性に会った。感じとして細久手から大井の山中で会った佐賀源一さんのイメージとかぶさった。雨はまだ降り続く。小休止の後また国道19号線の不愉快な道際を歩く。須原宿に差し掛かった頃京都の清水寺に似たお寺だと聞いていた「石見寺」を彼方の崖の上に見た。

この頃雨が一段と勢いを増して降ってきた。木曽川を越えて本日の宿「民宿いとせ」を探す。少し判り難かったが雨を凌げて全くほっとした。直ぐ入浴。その後夕食。民宿にしてはまあまあの食事。今夜は早めに寝ることにした。


6月2日(木)

今日も雨。朝食の後9時前に宿を発つ。昨日場所がわからなかったので素通りした「定勝禅寺」は木曽三大名寺の一つだということで、是非見ていらっしゃいと民宿のおかみさんに勧められた。その上ご本人の運転する車でお寺まで送ってもらった。おかみさんは訊けば昭和9年生まれということでした。須原宿の茶屋町というところで郵便局を見つけたのでまた千円貯金。この地に相応しい小さな木造の建物だ。
ここは「水舟」が有名だ。通りのいたる所で丸太をくり抜いて作った水舟が見られる。その水舟の後ろに正岡子規の句碑が立っている。「寝ぬ夜半をいかにあかさん山里は月いずるほどの空だにもなし」。この「水舟」の写真はこの宿関連の書物に必ずと言っていいほど登場する。



この写真は観光説明書に必ずといっていいほど出てくる

須原宿の高札場の看板。「水舟の里」の大きな看板からすこし山道に入る。ちょっとした山道の金網にNTTの金属製の看板あり。「おねがい。重要電話線あり。この付近を掘削するときにはかならず下記へご連絡下さい」。山道を抜け出して少し歩いたところに「ドライブイン木曽」。  
ドライブインというほど大袈裟なものではない。ベンチがあるのが見えたのでここで小休止することにした。(私ごとであるが、ここでトヨタファイナンスから私の携帯に電話が入り「落した車のキーが見つかった」とのこと。警察署に保管中の由。よかった!)。後500mで倉本駅の看板。
また桃介橋に良く似た吊橋。
水蒸気の湯気が立ち昇って来た木曽川に面した山々。
見事な景色に雨の中のつらさも忘れがちになる。「荻原一里塚跡」の標示看板。「この一里塚の位置は京へ六十四里、江戸より七十三里です。残念ながら現存しません」と書かれている。

程なく歩くと「小野の滝」。今は中央線の鉄橋に頭を抑えられて景観が悪くなっている。
「広重、英泉の合作である中山道69次の浮世絵に書かれている上松は、この小野の滝の絵です」と説明板。浅井洌の句「ふきおろす松の嵐も音たえて あたりすずしき 小野のたきつせ」
二条の滝が密やかに落ちている小野の滝から舗装された道路をゆっくり登っていく。やっと今日の楽しみにしていた所へやって来た。入り口に「寝覚の床美術公園・県立公園寝覚めの床」と大きく書かれている。

何十年前になるだろうか。信州に住む友人夫妻に案内されて一度ここへやってきたことがある。ブルーの水の色を透して白い岩石の色が透けて見え、なんともいえぬ淡い色のコントラストが強烈に印象に残っている。

寝覚の床南側の入り口

しかし今日は少し様子が違った。昨夜来の雨で水が濁っていた。以前岩伝いに行った「浦島堂」の祠へも雨に濡れた岩の表面が滑りやすいので行くことを断念した。
説明板を読む。「寝覚ノ床は木曽川の激流が花崗岩の岩盤を長い年月にわたって侵食して出来たもので、国の史跡名勝天然記念物に指定されています」。
竜宮城から帰ってきた浦島太郎が、持ち帰った玉手箱を開いたのがこの地であったとされています。
寝覚めの床を出たところにある「寿命そば越前屋」が本日お休みであったので、隣の「ラッキー」というお店でお蕎麦を食べた。

ここから本日の終着地「上松駅」まではそう遠くない。しかし今回の中山道は充分雨と付き合わされた二日間であった。



英泉描く「野尻宿」
  




野尻宿の傍の橋場という集落周辺に流れる「伊那川」とそこに架かる橋。
左上部に「岩出観音」がシルエットで描かれている。
 

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匿名 さんのコメント...
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