中山道第21日目
「薮原~奈良井~贄川~本山~洗馬~塩尻」
23・9・6(火)~7(水)
所要時間 初日 5時間30分 歩数17,759歩
2日目 8時間5分 歩数40764歩
初日9月6日(火)
和宮がいない。気を付けて探すのだが何処にも居ない。中山道を歩いてこんなことは初めてだ。どこかで彼女はこちらを見ていたのだが、こちらが気付かなかったのか。和宮は鳥居峠を越えず他のルートを辿ったのだろうか。明治天皇の「御小休止処」は少なくとも2ヶ所はあった。
薮原から鳥居峠を越えて塩尻までの中山道街道沿いで、和宮関連の碑に一回もお目にかからなかった。
さあ、鳥居峠の登りだ |
初日は11人、二日目は1人。中山道を旅して21回目になるが一日でこれだけの旅人と出会ったのは今回が初めて。3組の夫婦、一人旅の男性3人と女性2人。単独行男性3人の内1人はオーストリアから来た若い男性であった。鳥居峠の頂上を過ぎやれやれと思った時、街道の右側に比較的新しい小屋があった。ほっとして中に入って行った。男性1人、まさに大の字で仰向けに寝そべっていた。私が入って行った気配を察して起き上がった。
この角を直角に右に曲がる
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「I’m Sorry to disturb You」「(むにゃむにゃ)No…,no… 」「Are You also walking for Narai?」「Yes」「Where did you come from?」「Austria」「Australia?」
「No Austria」「Where is your terminal ?」「??……Oh、Oh…Kyoto…」「Sanjyo?」
「Oh、Oh Yes、San…jyou」
このオーストリアの若者は寝起きというだけではなく、会話や、人付き合いは余り得手ではないらしい。「May I take your picture?」とカメラを向けようとしたら顔を伏せて慌てて小屋を出て行った。
街道歩きで外国人と逢って話したのも今回が初めて。
また50歳ぐらいの一人歩きの女性2人に逢ったのも初めて。
まさに鳥居峠の頂上手前に来た時、この歩き難い下り坂を小走りに下りてきた女性。「青い小さな蛇を踏みそうになった」と顔色が変わっている。「マムシではない様だから心配ないですよ」「いや、私、蛇大嫌い」
この人も今朝奈良井宿を発ってきたという。女性で1人の中山道歩き。男性でも1人だと心細いのに。
1日で4万歩を越えたのも初めて。奈良井から塩尻まで距離は22,2kmあったが比較的平坦だったので何とか歩きおおせた。初日は峠越え、二日目はほとんど舗装の長い道のり、変化に富んだ二日間であった。
さて6時20分に家を出てJR薮原駅 に着いたのは午前11時24分。本日最初に戸惑ったことは、宿場街への入り口に通行禁止の掲示があり、ギョ!っとしたが直ぐ横に「鳥居峠⇒」の掲示看板を発見。よく見れば人工のトンネル入り口。高架の下をくぐって向こう側に出る。こんな中山道ってあるのかな。
快晴,微風。湿気が少なく絶好のウオーキング日和。初日の今日の道程は距離こそ短いが(5,3km)その殆んどは峠道。「鳥居峠」だ。
なるほど宿場を抜けきらないうちに「右鳥居峠」の標示。早速峠の入り口、上り坂だ。その侵入道入り口角に地元の60歳ぐらいの女性2人。いろいろ道すがらのことなど親切に教えてくれたあとで「熊が出ますから注意してください」。(おどかさないで…)。早速用意してきた大きな鈴をリュックに結びつける。
上り坂とはいえ大木が覆いかぶさり日蔭が多くて暑さは随分凌げる。峠道にさしかかると、直ぐに東京方面から来た単独行の男性に会う。「木祖村史跡鳥居峠」「信濃十名所鳥居峠」地道の脇に次々に石碑が現れる。ここでまた1人60歳がらみの男性に会う。こんな山の中で人に会うとほっとする。お互いこれから歩いて行く未知の先を、相手にいろいろ聞きたいこともあり、また小休止のチャンスでもある。坂の頂上手前あたりでひとり、下り始めのあたりでひとり単独行の女性に会った。前者は先に蛇に追われた女性として書いた人だ。既に夫婦ウオーカーとも二組に出会っている。
そして、現れたのは「熊避けの鐘」(熊も人が怖いので鐘で知らせてあげよう)と書かれている。人に会うのはウエルカムだが熊は動物園以外では会いたくない。暫くの間、(熊って本当にこんな山道に出てくることもあるのだろうか)などと考えながら、もくもくと歩いていたら、いきなり(が~ん、が~ん)と鐘の音。少しだけギョ!として前方を見れば本日3度目の夫婦ペアーとの出会い。埼玉から出てこられてやはり同じように京都三条大橋を目指しているとのこと。「私たちを熊と間違ったのではないでしょうね」と出来の悪いジョークを言ったのがきっかけで暫く話し込む。年齢はやはり60歳前後か。この出会いのあと少し歩いた先の山小屋で冒頭に書いたオーストリアンにあった。
この山小屋から奈良井宿はもう目の前であった。「奈良井宿近道700メートル」という素人っぽい板切れが貼り付けてあった。こんなに素朴だと逆に充分信頼できる。が、近道を行かなくっても目的地はもう目の前なのでそのまま山を下る。奈良井宿の南の入り口には「鎮神社」の赤い鳥居が印象的だ。
今夜の宿はご夫婦だけで経営されていると聞いた「江島屋」さん。奈良井宿本通りのど真ん中に位置している。荷を解く前に江島屋さんの前を素通りして30分ほどこの宿の北の方まで散策した。郵便局を見つけた。午後4時を過ぎていたが、まだ器械は止めていなかったので例の中山道記念貯金は受け付けてもらえた。
大きなきれいなお風呂だった。間口の割には奥行きが広い。この辺りのお家の特徴なのか。
私の好きなアマゴの塩焼きの付いた夕飯は美味しかった。ご飯粒だけで食事が出来る私にはご飯の美味しいということは何より嬉しいことだ。
第2日目9月7日(水)
今日も快晴。暑いと言っても我が住いと比べて暑さの内容が違う。湿気がない。夜はぐっすり眠られる。夜中に目覚めることはない。
昨夜も食事を美味しく頂いたが今朝も美味しかった。今日の道中、途中コンビニがあるとは聞いたが、万一、昼飯抜きもあるかと思いご飯はお茶碗3膳食べてしまった。記念写真のシャッターをご主人に切ってもらってさあ2日目のスタートだ。
軒並み並ぶ[漆器店]に無言で見送られて宿場の中を北へ進む。
宿場の北のはずれにJRの奈良井駅 がある。
「笹良漆器会館」「天平堂」「石本漆器店」を過ぎ「23夜」の石碑と説明板を通り「道の駅きそならかわ」へちょっと立ち寄りトイレ休憩。「国重要文化財深沢家住宅」いつの間にやら「贄川宿」に入ったのだろうか。いやここは「木曽平沢」の村だ。
街中で本日ただ1人会った男性も三條大橋を目指している。中間点を過ぎいまや出会う人の行く終着地点より我々の終着点の方が近くなった。
「贄川郵便局」前を通ったので千円貯金。ここで案内してもらった「贄川関所」に立ち寄る。今日は22kmの長い道程なのでゆっくりする暇がない。心は焦る。遅くとも塩尻に18時までに着かなければ今日中に家に帰れない。残念だが関所には入らずに写真を写しただけで先へ進む。JR贄川の駅前に蕎麦屋さん。ああ残念。まだ腹時計は昼ではない。明治天皇の石碑。和宮はないが「明治天皇御小休所」の碑は何度かお目にかかる。暫く進むとまた国道。昨日のようにアップダウンはなくフラットな道が続くが、車の往来の激しい国道は歩き難い。「道祖神」の石碑、「一里塚」の看板。
「日出塩の青木」という看板があった。「貴人の塚の上に大檜があった。洗馬の肘松日出塩の青木 お江戸屏風の絵にござる」と書かれていた。
国道の右手山側の高い位置に「本山宿」の立派な標示を見る。宿は静かな佇まいを見せている。
先に通り過ぎた」「贄川宿」と、ここ「本山宿」には宿泊施設が一軒もない。それなりにまた静かな雰囲気だ。「本山そばの里」の大きな立て看板。その後方には蕎麦畑が広がっている。このあたりは蕎麦の本場。
きれいに咲きそろった道端のコスモスをバックに「本山宿」の看板。「明治天皇本山行在所跡」の大きな石碑。暫く行くと道祖神、庚申さん、字が読み難い石碑が10点以上並べられている。そろそろ[洗馬の宿]だ。中山道の宿場らしくない宿場だなあ、と思っていた矢先、あった。「脇本陣跡」につづいて「本陣跡」の立て札。だが民家の塀に貼り付けてあるだけ。「邂逅(あふた)の清水入り口」というボードが電信柱に貼り付けてある。
「塩尻の駅は?」と村の人に尋ねた時「あそこのぶどう園の角を右に」と聞いたのでぶどう園に立ち寄ることにした。ここまで来れば時間はほぼ読める。頑張ったおかげで時間は1時間以上余裕が出来ている筈だ。ポートランドという名のついた葡萄を試食。甘い。甘過ぎる。
相棒が一箱購入したのでサービスに2,3房頂いた。歩きながら食べる。甘い。美味しい。
駅が近づいてきた。予定より1時間近く早く到着した。
(右) 塩尻駅の傍の壁に大きく描かれていた塩尻の観光広告。
薮原宿 英泉は鳥居峠を描いている |
峠でやすらう2人の旅人と小木曽女が雪を被った御嶽山
を眺めている。
後方は芭蕉句碑
「雲雀より上にやすらう峠かな」(はせお芭蕉)
この碑は現存している。
左に見える泉水は木曽義仲がその水で願い文を書いた「硯の清水」
奈良井宿 渓斎英泉 |
栄泉は鳥居峠の峠にあった茶店を土地の名産「お六ぐし」のお店に見立てて描いたようだ
贄川宿 歌川広重 |
洗馬宿 歌川広重 |
本山宿 歌川広重 |
塩尻宿 渓斎英泉 |