2011年12月24日土曜日

中山道第23日目望月~追分231208

中山道第23日目 「望月~八幡~塩名田~岩村田~小田井~追分」
23128()10() 
     
       初日 望月「青木荘」に宿泊
  
        2日目 望月~八幡~塩名田~岩村田 7時間00分 歩数21,644
        3,6km 2,9km  5,1km   11,6km
     
            3日目 岩村田~小田井~追分    4時間30分 歩数20,062
        4,6km  5,9km    10,5km

 

初日12月8日(木)

今回のスタートは前回108日、私の右足のトラブルのため断念せざるを得なかった望月宿からのスタートとなった。
今回の歩行は二日間で22,1kmと比較的短い距離であったが、話題は少なくなかった。

まず出会いがあった。

篠ノ井から小諸に行く快速電車の中でアメリカ人の若い女性と向い合わせの座席になった。「May I sit down here?」「Of course Please」。
小諸駅の手前上田駅でそのアメリカ女性が降りるまで、写真を撮り楽しい会話が出来た。
アメリカから二週間前に来て直ぐ英語学校で教えているとのこと。教材もカバンから出して見せてくれた。また自分自身も日本語を学び始めたと言って日本語の教材を出して見せてくれたので,ここから我々の日本語指導が始った。たちまちTeacherStudentになった。

二つ目の出会いは今回の行程の終わり近くだった。後述するように小田井宿から追分宿への中山道を間違って歩いてしまった。途中で気がついた時にはもう後には戻れない所まで来ていたのでそのまま歩き、林の中の別荘らしき建物の庭でガーデニングをされていたご夫婦に、信濃追分駅までの道筋を尋ねた。中山道だと思った道がそうでなかったこと。そして駅の位置がわからなくなってしまったこと。丁寧に教えていただいた道を駅近くまで歩いて行った時、後方から車が我々を追いかけてきて真横に止まった。振り向くと先ほど道を教えて頂いた「大海さん(仮名)」だった。私達が歩けなかった中山道を、自分の車で案内して下さるということだった。折角遠く京都から来たのに街道筋にあるビュウポイントを見過ごしてしまうのは残念だろうというご配慮からだった。「堀辰雄記念館」「分去の碑」などなど、中山道を歩く人なら当然必見のポイントを案内して頂いた。見知らぬ地での親切が嬉しかった。

道を三度間違った。

一度目と二度目は正しい道に軌道修正できたが、三度目は(前述)遂に正道へ戻るにはあまりにも間違った道を歩き過ぎてしまっていた。
一度目は望月宿から朝スタートして中山道への標識を見落として200mほど通り過ごしてしまってから、おかしいなと気付き、引き返して正道に戻った。
二度目は三日目の朝、宿泊した佐久平駅前のホテル「佐久平プラザ21」のフロントで、「中山道はどちらですか」と尋ね、結果的には昨日このホテルに辿り着いた時に歩いた同じ道をダブって歩く結果になり、1時間ほど時間をロスしてしまった。「中山道はどちらですか?」という尋ね方が間違いの元だった。中山道は点ではなく線である。中山道という道のどの点へ行くのかを尋ねなければならなかったのだ。
三度目は決定的なミスであった。三日目、小田井宿から追分宿へ行く道をいつの間にか県道137号線の車の往来の激しい道路を歩いていた。先程から中山道の道筋でよく見かける標識を目にしていないと感じ、畑から帰られる途中の農夫に尋ねて、我々の間違いが取り返しの付かないところまで来ていることを知った。今更正道に戻れないのでこのまま進むことにした。

もう一つのハップニング
「塩名田」の交差点を渡ろうとしたときの事だった。勢いよく走ってきた消防車から大きな音がして何か物が落ちてきた。消火用ホースの1m長の金属製のノズルであった。大声で合図したが車は行ってしまった。暫くして50歳ぐらいのご婦人に会ったので、状況を話して近くの消防署に電話しておいてほしいと頼んでおいた。

第二日目129日(金)
 

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瓜生坂への上り口
  
今日は快晴。風は少し冷たい。
いろいろなハップニングもあったが、今回の中山道第二日目は、先日も宿泊した望月宿の旅館「青木荘」からスタートした。
朝目覚め、窓から外を見ると林や道路にはうっすら雪が積もっていた。今冬初めて眼にする雪だった。そして前述のミスを犯した後、旧中山道を歩き始めた。
今日の最終目的地は約12km先の岩村田宿である。しかし先ず目指すは八幡宿。自転車屋の角を曲がり暫く宿場の中を歩いたがいきなり瓜生坂の昇り坂が待っていた。まだ足のウオーミングアップが出来ていない朝の時間なので、この急坂は少しきつかった。しかし坂道はそう長くなかったのでほっとした。「瓜生坂の百万辺念仏塔」の古い看板が雪景色をバックにくっきり浮き上がって見えた。
「望月城跡」と書かれた標識の横に望月宿の石灯篭。「遺言道祖神」その説明立看板を過ぎ視界が突然開けた。目前に現れた浅間山。雪を冠ったその雄大さに圧倒された。ここから今回の中山道行は最終目的地まで、冠雪した浅間山と共に歩いた。眼をやる度に疲れを忘れさせてくれた。
望月宿へ2,5km、八幡宿へ0,8kmの表示を過ぎ暫く行くと塩名田3,2kmの表示が表われた。
八幡宿の「中山道八幡宿本陣跡」の標識の後ろの建物は、門だけが残っているのだろうか。
つぎのビュウポイントは「八幡神社」、「高良社」。高良社とは周辺に定着した朝鮮からの渡来人の社で高麗社の意。現在国の重要文化財に指定されている。暫く先に石の門柱だけがあった。高さ2mほどの石柱の左の文字は「常泉寺」、右側には「八幡山」と書かれている。
八幡宿の村落を通り抜けると左前方に再び雄大な浅間山が現れた。この山は何度見ても見飽きない。画家がこんな山並を目の前にすれば、何はさておいても絵筆を取りたくなるだろう。絵の心得の無い私にも暫く眺めていたい衝動に駆られる。明るく開けた田園地帯を抜けると塩名田の宿に入った。直ぐ左手に「塩名田宿本陣問屋跡」の標柱。その後ろに建つ建物は勿論本陣そのものではないようだ。宿場の中の塩名田の交差点を渡ろうとしたとき前述したハップニングが起こった。消防車がノズルを落としていったのだ。あのご婦人は消防署へ連絡されただろうか。
「重要文化財駒形神社」を過ぎる。「この地は古くから信濃牧の地と呼ばれる馬の産地であり、本殿には馬に乗った男女二体の神像が祀られている所からそれらに関係した神社だったと思われる」と説明書には書かれている。
塩名田宿を通り抜ける。道端の立て看板には「追分」の文字が現れ始めた。その前に岩村田の宿がある。見たいと思っていた「相生の松」をうっかり見落としたことに気がついて引き返す事にした。現在の松は3代目だという。
西宮神社を通り過ぎると「岩村田宿」の表示が交差点際に建っていた。やっと本日の終着である岩村田宿を通り抜け、今夜の宿泊所「佐久平プラザ21」を目指す。

第三日目1210日(土)
今朝は昨日より1時間早くホテルを出た。スタートは810分。今日は何としても信濃追分駅1430発の電車に乗りたい。これを外すと帰宅予定はカレンダーの日付が変わってからになるのだ。ところが冒頭に書いたように中山道に遠回りして入ったことになり、きっちり1時間ロスしてしまった。

「相生の松」

小田井宿脇本陣跡












県道137号をに沿って残雪の舗装道路が続く。車の通行も決して少なくない。道路わきに立つ標識「小田井宿を経て追分7,4km・中部北陸自然歩道」を横目に見て先に進む。「市文化財旧跡鵜縄沢端一里塚」には「この一里塚は慶長年間中山道開通の当初に設置されたものである」と書かれている。道端の舗装されていない土の部分には雪が残り、左前方にはすっかり冠雪した浅間山が疲れを忘れさせてくれる。暫く行くと二股の分かれ道に来た。右側の道に入る。暫く歩くと「追分6,6km」の標識。村の半鐘台(火の見櫓)が浅間山の頂上から上に突き出しているように重なって見える。

御代田町に入った。

「中山道小田井宿跡」の縦長の標識。小田井宿の「脇本陣跡」。この辺り標柱も周りの樹木も頭に雪帽子をすっぽりとかぶっている。続いて「中山道小田井宿本陣跡(安川家住宅」。道の左側に新しい「休憩所」が作られていたが先ほど休んだばかりなので残念だがパス。「中山道小田井宿」と書かれた木彫りの柱の上に梟が止まっている。これも木彫り。村はずれに来ると再びみたび雪をいただいた浅間山が眼前に迫る。山の姿は現われるたびに大きくなっている。ここで標識は「追分5,0km」。「追分へ4.0km」の標識を過ぎた辺りに「御代田町役場・御代田駅・国道18号線」の背の高い鉄製の交通標識。後で述べるがどうもここを左へ標識に沿って御代田駅の方へ行くのが正解であったのかも-。

「龍神の杜」という公園があったので10分休憩を取る。「ミネビア株式会社」の門前を過ぎる。「雪窓湖」の看板が交通標識のように立っている。見晴らしのいい場所に道が開けるとまたまた浅間山に会う。「会うたびに大物になる浅間山」「浅間山八景第七番草越」の縦標識。県道137号は続く。
どうもこの辺りで道を間違い始めていたのかもしれない。いずれにしてもこの日何処からか中山道を外れた道を辿っていたのだ。なんとなくおかしいと感じ、野良仕事帰りの人に道を確認した時には既に取り返しのつかないところまで歩いてきてしまっていた。

林の中の庭でガーデニングをされていたご夫婦に、道を間違えたことを話し「信濃追分駅」への道を尋ねた。目的地までもう20分ほどの地点にまで来ていた。
駅舎が見えて来たとき、後ろから走ってきた車が止まった。先ほど道を尋ねた大海さんであった。(その後は前述の通り)。


日本の名山を眺めながら歩いて来たが、冠雪した浅間山は強く心に残った

小田井宿から追分宿までの中山道は見所が多いことがわかったので、次回はぜひ御代田駅で下車して、今回歩けなかった小田井、追分間の中山道を歩きたいと思っている


浅間山
 



八幡宿 歌川広重
中沢川に架かる板橋の上で子どもと旅人がすれ違う。
画面右手奥にはキセルをくわえながら帰る農夫、
幼子を背負っている女性
  

塩名田宿 歌川広重
塩名田宿の西の外れ千曲川渡し場?


岩村田宿 渓斎英泉
このシリーズの風景画としては大変異色。
旅人が喧嘩している。犬が吠えている。

小田井宿 歌川広重
小田井宿の西「金井ヶ原」を描いたと言われている。
秋の夕暮れの寂しさが描かれている。
 
渓斎英泉 追分宿
中山道と北国街道の別れ道になる追分。後ろの山は勿論
浅間山であるが実際の山と少し違って見える。


望月宿 歌川広重
瓜生坂は満月の夜だった。